長屋宏和
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第8章 良い経験の出来た1年間
翌99年、フランスのル・マンにあるレーシングスクール「ラ・フィリエール」に入校。この年日本人生徒は僕と高崎だけ、僕も高崎も英語・フランス語がほとんどしゃべれず、最初は困りましたが、勉強して通常生活程度の英語は話せるようになりました。僕は、中学・高校で、英語の授業はいつも寝ていたので、本当に何もわからないままフランスへ行ったのですが、言葉が通じない中にいると自然と勉強もしたし、外国人も僕がしゃべれないのを解ってくれ、なんとか理解しようと努力してくれたため、覚えるのが早かったのかもしれません。
その時一緒に生活していたのが、‘02年イギリスF-3・Bクラスチャンピオンになり’03年はイギリスF3に出場しているアダム キャロル。国際F3000に出ているフィリップ ギブラー。同じく国際F3000に出ているパトリック フリーザッカー。
そして、フォーミュラーフォードに出ていたパトリック ロング。フランスF3Bクラスに出ていたアダム ジョーンズ。ウウェスリー バーバラ。ウウェスリー グロゴーなどなど。ラ・フィリエールを卒業したドライバーは皆、活躍しています。あの頃、フランス人ドライバー以外はル・マン大学の寮で生活をしていました。日曜日以外、毎日トレーニングをしにラ・フィリエールに行き、日曜日は全員でレンタルカートに乗ったり、買い物したり、ラ・フィリエールに通う為の交通手段である原付バイクを洗車したりしていました。
金曜の夜はドライバー全員で飲みに行っていました。日本では変ですが、フランスでは、これが普通の生活で、飲みながらF-1見たりビリヤードやったりで非常に楽しかったです。レースの方は、知らないサーキットに行き、いきなり予選と言う感じで毎レース経験していました。なので、前日のうちにコースを歩いて1周し、コースレイアウトを覚えるのが重要でした。この頃からサーキットを見ただけで、このコースは好きか苦手かわかるようになりました。フランスでも日本のサーキットに似ているコースは得意でしたね…。
そういった部分で、海外のドライバーと日本人ドライバーの差が出るのだと思います。
海外のサーキットは想像以上に路面が悪かったり、カートコースを走っているように感じるほど狭かったり…。
それに比べると、日本のサーキットはとても走りやすくできています。
だから外国人ドライバーが日本に来ると速い訳なのです。当然だと思います。
この年、最終戦にルノーフェスティバルと言うルノーのビックイベントがあり、そのレースで3位表彰台に乗ることが出来たのがとても嬉しかったです。
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