長屋宏和
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第20章 危かった・・・

 2003年の1月。頚椎を損傷していたことで事故後の手術で首には鉄板が入れられ、 骨と骨をつないであったものも無事固定されたため、ようやくハローベストが取れました。今でも鉄板は入っていますが、違和感もなにもありません。ハローベストが取れてから 車椅子にも乗れるようになりましたが、貧血ですぐ寝かされていました。 少しずつなれ、電動車椅子に乗った時は楽しかったです。やっぱ駆動する物が付いていると気分も違うし、もう一台用意してレースがしてみたかったけれど…無理でした。 電動車椅子はリハビリにならないので、すぐに乗せてもらえなくなりました。 その後は、少しずつですがリハビリを進めていきました。まだ肺活量が少なく、痰も出ていたのですが、病院の先生に進められ、レティナを取って気管切開をふさぎました。 しかし、その夜10時。ちょうど「僕の生きる道」をテレビで見ている時に、痰が自分で出せず発作になり、息が出来なくなってしまいました。 その時のナースコールは、息を吹いて鳴らすタイプだったので、鳴らせずに苦しんでいたら、自分の病室の前のベッドの人がそれに気付いてくれ、看護婦さんを探しに行ってくれました。 そのため、2時間後にまた気管切開を受け、息が出来るようになって、無事なんとかなりましたが、あの時、もし、看護婦さんを呼んでくれていなかったら、たぶん僕は窒息死していたでしょう。あの人に助けられ、本当に感謝しています。
 その後、手も少しずつ動くようになり、やっとパソコンを使えるようになりました。 パソコンが出来るようになり、それまで病院生活だけで外のことがまったく分からなかったものが、ニュースなどを見て、世間が今どうなっているのかや、レースの結果、自分のホームページを見ることが出来、僕のことを応援してくださった皆さんに直接、返事が出来るようになって嬉しかったし、励まされました。それまで応援してくれていたドライバーがどうしているかや、F-3やFDなどのレース結果。そして戸田レーシングの状況が 気になりました。
 僕は事故から寝たきりだったので、お尻に床擦れが出来てしまっていたため、車椅子に長時間乗ってのリハビリが難しく、リハビリが進みませんでした。しかし、時間が経つにつれて床擦れが小さくなり、手術して無事、治まりました。手術前の時点で直径3センチ×2センチあったので、床擦れが出来た頃はどれだけ大きかったのか…。 でも無事、手術は成功し、その後のリハビリも順調に進み、車椅子を自力でこげるようになりました。でも、この頃は2、3メートルこいだら休憩しないと体力的に辛く、復活を目指して、毎日、努力しました。 車椅子をこぐ距離も少しづつ長くなり、病棟1周から始めて、転院する頃には10周以上続けてこげるようになっていました。でも、力はついたものの、持久力は、自分で意識出来るほど変わりませんでした。

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