長屋宏和
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第15章 初戦でのクラッシュが流れを変えた
02年、念願の全日本F3選手権に「戸田レーシング」から参戦することになりました。同時に前年度、参戦していたフォーミュラードリームのテストドライバーとして、フォーミュラードリームの開発もやらせて頂きました。
1戦目の筑波サーキットは、見たこともないし、当然、走ったこともないサーキット
でした。レース前の木曜日、初めてサーキットを見て、フランスでレースしていた頃を思い出し、1周2.045Kmのコースを歩きました。金曜日の初走行は誰よりも遅かったです。びゅんびゅん抜かれていましたが、自分は初めてのサーキット、周りの全員が筑波には慣れていたので、まったく気にせずマイペースでやるべきことをこなしていきました。
午後には皆と同じように走れるようになり、最終セッションでは3番手のタイムを記録して金曜の練習走行を終わることができました。
翌日、土曜日は予選が2回と第1戦目がありました。朝、小雨が降り、路面が悪いため、セッティングに悩みました。土曜日は練習走行がなく、突然予選なので、路面状況もわからず、戸田さんとメカニックの前田さんと悩み、なんとかセッティングを決めました。
午後に行われる1戦目の予選は、走り出してみると想像していたよりも路面状況は良く、セッティングはミスで、予選1回目は10番手で終了。その15分間後には、日曜日に行われる2戦目のグリットを決める予選が始まります。そして、その15分間でセッティングを直し、予選に挑みました。走り出して、リアータイヤのグリップが上がり、立ち上がりでリアータイヤが踏ん張ってくれていたため、タイムは出ると確信していました。
この予選は、3番手。前日の練習走行では3番手タイムを記録していたため、3番手は当たり前だと思っていましたが、1回目の予選で10番手になってしまったのは、自分のセッティングミス。だから、とても悔しかったです。
全日本F3選手権 開幕戦「筑波」。第1レースは10番手からスタート。 車の調子も良かったのですが、筑波サーキットでのオーバーテイクは難しく、なんとか6位で完走。ポイントを取ることが出来ました。日曜日の第2戦は、3番手からのスタート。スタート自体は良かったのですが、ポールポジションの無限×童夢の2002年度F3チャンピオン・小暮選手がエンジンストール。それを避けていたら、5番手スタートのマチュー ザンガレリ選手に前に行かれてしまったものの、1位パオロ モンティーン選手、2位マチュー ザンガレリ選手、3位が僕と順位は変らず、前とも離れず、後ろとも離れないまま、レース後半に入った所で、バックストレート手前のコーナー立ち上がりで、2速から3速に上げるときに僕はシフトミスしてしまい、一瞬、自分の精神面が乱れ、そのまま最終コーナーに入った所でリアータイヤのグリップがなくなって、堪えたもののスピン。
そのままメインストレートのコンクリートウォールにヒットし、レースを終えてしまいました。このレースが、レースをはじめて10年間の中で一番悔しいレースです。
あの時、そのまま何も無く無難に走っていれば、絶対に抜かれることはなかったでしょう。
戸田レーシングは2001年、1年間表彰台がなかったので、どおしても表彰台をプレゼントしたかったのです。でも僕が、このレースでクラッシュしたことで、この年も「流れ」をつかみ損ねてしまい、その後のレースも、良くもなく悪くもない、パッとしないレースを続けてしまいました。
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